東蒲組合とともに生きて

 私は、ことし95歳になります。その人生の60年近い年月を東蒲組合で過ごしてまいりました。姪の文子から、組合がなくなると聞いて、第二のふるさとがなくなるような寂しい気持ちでいっぱいです。ただ、これも時代の流れということなのだと自分を納得させる毎日です。
 
 私が籍を置いていた当時の組合は、組合員数も200人を超えていて、それはそれは活気のある楽しい時代でした。皆さんから良くしていただき、私も自分で出来る限りのことを組合に捧げてまいったつもりですが、果たして、どこまでお役に立てたのかとの思いもございます。組合事務所で、除夜の鐘を聞いたことも何度もありました。私の人生は、東蒲組合とともにあったと思い返しています。
 
 私が、東蒲組合の前身である東京都水産練製品工業協同組合に入ったのは、昭和24年1月15日のことでした。理事長は、金子喬一さんのお父さんである金子銧太郎さまでございました。この年の10月に統制が解除されるという、当時は、まだ敗戦の傷跡癒えぬ激動の時代で、終戦の混乱と騒然とした世相の真っ只中にありました。そんな中、伝統食品である水産ねり製品が、いかに重要な良質タンパク源であったか、また、国民の食生活を支えてきたかをこの目で見て参りました。長い間、業界が社会に果たしてきた功績に、かまぼこ業界に身を置く者の1人として誇りと喜びを感じています。
 
 テレビのドキュメンタリー番組などでたまに目にすることがありますが、当時の日本は、貧しい環境にはありましたが、国全体に活気が漲り、明日の希望に燃えていたことを昨日のことのように、思い出します。その後、組合の名称は東京都蒲鉾商工業協同組合を経て、現在の東京都蒲鉾水産加工業協同組合と変わってまいりましたが、組合事務所の一角で、私はその歴史をつぶさに見て参りました。楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、様々な出来事が蘇ります。本当にあっと言う間の60年でした。思えば私の人生はいつも蒲鉾組合とともにありました。そして、業界の歩みは私の人生と同じように、決して平たんな道のりばかりではありませんでした。最盛期と言われる昭和50年代前半までは、年末ともなりますと、築地の市場には風物詩ともなったテントが乱立し、作業員たちがよっぴいて往来し、新年初荷には車の大漁旗がなびいて大変な賑わいでした。
 
 私の青春は、東蒲組合とともにあったと、いましみじみと振り返っています。歴代組合長様はじめ、役員、組合員の方々の温かいご指導とご支援の中で満足できる人生を過ごすことができましたことを心から感謝申し上げます。
 
 組合が解散することは誠に残念ではありますが、組合の歴史の一場面に私が身を置くことができた幸せに感謝するとともに、東京かまぼこ業界の今後の発展を心より祈念しております。

東京都蒲鉾水産加工業協同組合 元職員 金井房子












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