経験を積まなければ本物はわからない

先ごろ、ネットで、グルメライターたちが値段の高いかまぼこと安いかまぼこを食べ比べて正解できるかという企画記事を目にした。結果は、ほとんどのライターが正解できなかったというものだった。


 当然ながら、 食べ物には、食べ込まなければわからない本物の味があるということだ。私が、よく例にあげるのが、本わさびだ。小さい時から粉わさびしか知らずに過ごしてきたが、18歳ころだったか、本わさびを口にすることがあった。最初の印象は「本わさびって、不味いものだなあ」というのが偽らざる率直な感想だ。その後、違和感を感じながらも本わさびを食べつけてくると、今度は、粉わさびが出てきただけで、がっかりし、ましてチューブのわさびでも出ようものなら食欲が俄かに減退するようになった。


 昭和30年代、テレビで、美味しそうなCMが流れていた頃、初めてコーラを飲んだ。「何だ?これ、薬じゃないのか」と吐き出したこともあった。アルコールもそうだ。小学生の時、初めて飲んだお屠蘇は、何と不味かったことか。ビールを最初に飲んだ時は「なんて苦くて不味い飲み物だろう」と思った。


 学生時代に、友人の部屋に遊びに行くと、本棚には必ず、サントリーホワイトのボトルが並べてあり、自分が大人になった気になって、つい、真似をして、ウィスキーを買ってはみたものの、その美味しさはわからなかった。あれから数十年、今では、アルコールなしの生活は想像さえできなくなった。


  ことほど左様に、飲食物は、じっくりと食べ込まなければ美味しさの本質に触れられない例は、枚挙にいとまがない。かまぼこという食品も、その代表的なものの一つだと思う。その美味しさ、魅力は、入口で引き返す食わず嫌いにはわからない。


 かまぼこの神髄に触れるには、経験を重ねてもらうしかないのだが、日本人ならば、古来から続くと心地よい歯応えと奥ゆかしい旨みのハーモニーを知ってほしいものだ。












この記事へのコメント

老けこんでしまった爺
2017年06月16日 13:39
『本物』より『自分の好き嫌い』で選んでもいいんじゃないですか?
『純粋・究極の本物』を追求することは、その道の達人や研究者には必要なことでしょうが。
生活者にとっては、多種多様な食材・食品の中での選択権があるわけですし。

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