かまぼこの一口知識14 「大阪かまぼこ」

 かまぼこは、一説によると南方からその原型が流れ込み、関西地区に到達して大きく発展したと考えられています。その理由としては、当時、日本の中心が京都にあったことにより、その台所が大阪であったことで、バラエティー豊かな大阪かまぼこが発展したと考えられます。

画像




 大阪かまぼこ

 大阪を代表するかまぼこで、蒸したあとで表面を焼いた「焼き板かまぼこ」と、蒸さずに直火で焙り焼く「焼通しかまぼこ」があります。どちらも、魚の旨味と香ばしさがある板付きかまぼこです。その発祥は、定かではありませんが、室町時代後期には板の付いたかまぼこが登場していたと考えられます。その当時は、かまぼこを蒸して作る技術がなく、かまぼこは全て焙り焼いて作られていました。持ち手のついた板に載せて焙り焼いたといわれています(かまぼこひと口知識・2013年11 月号の水産煉製品新聞に写真を掲載)。


 その後、江戸時代に入り蒸す技術が出現し、蒸しかまぼこが作られるようになりました。天保8年(1837年)から30年にわたって江戸の食べ物、風俗や生活について書き記している「守貞謾稿」には、京阪及び江戸の板付きかまぼこに関して次のような記述があります。


 「今制は図のごとく(図1を参照)、三都ともに杉板面に魚肉を堆し蒸す。けだし(確かに)京阪には蒸したるままをしらいたと云う。板の焦げざる故なり。多くは蒸して後、焼きて売る。江戸にては焼て売ること、これなし。皆、蒸たるのみを売る。図(図1の一番上の図)は、三都ともに普通とするの形なり。・・・略・・・。また下図(図1の真中の図)のごときは、大阪及び摂津の尼ケ崎・兵庫・泉の堺等にてこれを制する。京都に漕し売るもの櫛形に似て、短く、粗制(図1の下の図)。塩を多くし、必ず焼たり。是、遠境よりこれを遣はすもの故に、焼ざれば腐れやすき故なり(京都に出荷していたので、表面を焼いて乾燥させなければ腐りやすかった)。このような記述があり、何故焼かまぼこが多かったか、解説しています。


 当時のかまぼこ原料は、ハモ、グチ(白・黄・黒)、ニベ、アマダイ、タチウオ、カナガシラ、アカシタビラメ、カレイ、エソ、イカ、タラ、コチ、ハゼなど、近海で漁獲される鮮魚を数種類混ぜて使用した。今では、グチ、ハモを中心とし、冷凍すり身も使用している。製造の特徴は、蒸し焼きかまぼこは半月型に板上に成形し、これを比較的高温の蒸し釜で一気に蒸しあげた後に、焼炉で表面をきつね色に焼き上げて、香ばしさを出す。


 また、焼通しかまぼこは、焼炉を用いてゆっくりと芯まで加熱してゆく。中心まで十分に加熱できたら、表面に焼き色を付ける。特に大阪の焼通しかまぼこの表面には亀甲模様をつけることが多い。そのままか、わさび醤油で、魚の風味と焼きの香ばしさを楽しみながら食べるのが一番うまい。また、蒸焼きかまぼこはうどんの具材などで使われることもある。大阪では以前は、一家に1本必ず冷蔵庫に焼きかまぼこが入っていたという、今ではうらやましい話です。


 このほか、大阪には白てんぷら、厚焼や梅焼きなどのかまぼこがありますが、紙面の都合上、次回話すこととします。

 ※ご指摘、ご意見がある場合には、編集部(どい事務所)あてにご一報をお願いいたします。

 水産煉製品新聞11月25日号から












ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック