桂馬の柿天に思うこと

 尾道の桂馬商店が「わたしと桂馬」のエピソードを募集しているというのを知って、昨年11月号の水産煉製品新聞に掲載した「桂馬商店の“柿天”に思うこと」という記事を思い出した。以下に紹介する。



 生まれ故郷の広島の実家は、東洋工業本社のあるJR向洋(むかいなだ)駅近くにあった。この駅は、普段は、人影も疎らな小さな駅だが、午前8時の出勤時間と夕方5時過ぎの退社時間ともなると、東京のターミナル駅にも負けないラッシュが生じる。

 いまは、マツダと社名が変わったが、半世紀近く前の自動車産業は、まさに、経済成長期にあって、3万人近い従業員が24時間体制で製造ラインに従事していた。交通網が整っていなかった頃のことで近郊出身の工員の多くは、向洋駅周辺に乱立していた下宿屋で生活していた。我が家の二階にも、20歳前後の若い工員が下宿しており、多いときは20人近い下宿人がいた。
 

 盆暮れになると、里帰りした下宿人は、様々なお土産を手に帰ってきた。恐らく、田舎の両親が、子供可愛さに、下宿先への心づくしを持たせたのだろうが、うなぎ、しいたけ、さつまいも、キャベツ…、様々な土産物が届いた。

 そんな1人に尾道出身の人がいて、彼の土産は、いつも決まって「干し柿」。ところが、食べてみると、柿ではない。母から何か説明を聞いた記憶もあるが、食べ物に興味のなかった小学生にとっては、わけのわからない奇妙な食べ物だったが、美味しい食べ物として、その土産を心待ちにしていたものだ。それが、かまぼこだと知るのは、随分、後になってのことだが、尾道の桂馬商店の「柿天」と知ったのは、この業界に入ってからのことだ。

 昔ながらの美味しさをいまも守り続ける同社の姿勢に尊敬の念を抱きながらも、いまも広島に住む妹からたまに送ってもらっている。価格的にかなり高いが、原料事情を知る身としては、原料を吟味、厳選していることを考えれば、いた仕方ないのだろうと理解はできる。安売り、中には乱売に近い商品が蔓延る今、本物を提供する企業としての矜持をこれからも押し通して欲しいと思う。

 桂馬の「柿天」を食べると、小学校の5年生頃を思い出す。噛み締める度に、元気だった父や母の姿が目の前に現れるようで、その美味しさは、さらに倍増する。





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