連載 東蒲組合と私② 東京業界の趨勢を映す総会会場

 通常総会直前に開かれた役員会の席上、話題になったのが、これまで、どんな会場で、総会を開いていたかという思い出話だった。組合財政が逼迫している今日、東蒲の総会は、築地厚生会館で開くのが、通例となっているが、私が東蒲組合に出入りし始めた昭和55年頃といえば、それは大層、派手なものだった。役員会や打合せはホテルや料亭で行われることも珍しくなかった。

 新年会、総会ともなると当然のように箱根か熱海あたりで泊りがけで行われていた。事務局の金井さんによると、帝国ホテル、ホテルオークラ、東京會舘といった一流ホテルでの開催もあったようだ。記憶もおぼろだが、箱根湯本の南風荘、天成園、大観荘といったホテルの名前が思い浮かぶ。
 

 宴会前に、手ぬぐいを片手に、温泉へ。ひとっ風呂浴びていると、浴槽内で、近況を声高に語り合う長老連中の高笑いが響いたものだ。その一方で、働き盛りだった若き金子喬一、井上幹雄(茂三郎)、中山清司といった面々が業界の先行きについて真剣に意見を交わす光景も見られた。現組合長の杉江繁夫氏もその一団に加わっていた。若者にとって、年配者たちの慎重さはいまひとつじれったさもあったのかもしれないが世代間には緊張感が漂っていた。
 

 宴会では日本髪を結った芸者衆が付っきりで、色っぽい手つきで酌をしてくれた。150人はゆうに入ろうかという大広間に出席者が向き合って座り4列から6列にも及んだという記憶がある。少なくとも毎回、100人近くの参加があったのだろう。

 当時は、カラオケもない頃で、三味線や手拍子に合わせて都々逸や民謡が披露されていた。アルコールも回り、舞台で芸者衆が得意の舞を演じる頃には、宴もたけなわ。あちこちで笑いや嬌声が湧き上る。そんな中、舞台に熱い視線を送りつつ大きな拍手を送る先輩が「姉さんたちは、踊りながらも客席の反応をしっかりと見ている。熱心に見ていると、舞台の後で必ず席にやってきてくれる」の言葉通り、踊り終わると「お兄さん、ありがとう」と酌をしながら先輩の部屋番号を訊ねている場面を何度か目にしたことも懐かしい。

 宴会が終われば、長老組と若きリーダー組の部屋には必ず数人の芸者衆が延長で居残り、さらに酔いのボルテージをあげていた。別の部屋では、マージャン組、その隣では花札ゲームが開かれ、大人の夜は、延々と続いたものだ。

 いまとなっては、すべてが時効だろう。翌朝、大きな黒いかばんにくちゃくちゃになった戦利品を詰め込み意気揚々と帰宅準備をする某理事の姿が昨日のことのようによみがえる。
 

 事の良し悪しは別にして新年会、総会はそんな遊び心いっぱいの雰囲気の中で続いていたが、いつしか、総会も新年会も都内で行われるようになった。その後の総会の会場で印象に残っているのは、江東区の清澄庭園の涼亭だ。実に風情のある会場だった。開け放した庭園から爽やかな風が吹き渡り、美しく手入れされた池の周囲に築山や名石を配置した眺めが印象的だった。
 

 その後、会場は、ホテルを経て、築地厚生会館へと移ってゆくが、なぜか、ホテル以降の総会については、あまり印象に残っていない。総会は、会場の移り変わりとともに、出席者の顔ぶれ、人数、雰囲気も変わったが東京業界の趨勢を如実に表す写し鏡と思う次第である。    (つづく)






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