いまも記憶に残る萬正彦次氏の「切り出し」

 金太郎飴のかまぼこ版。「切り出し」の技術を初めて見たのは、いつだったろうか。確か、仙台の品評会の時だったと思う。仙台では何度も全国蒲鉾品評会が開催されているが品評会ガイドを開いて調べてみると、昭和55年の第33回大会の会場でのことだったようだ。

 JR仙台駅前の丸光デパートの7階か8階の催事場が会場だったと思う。何しろ、30年以上も前のことで、記憶もおぼろだが、大阪の萬正彦次さんが、会場入り口そばで、鶴や、アヤメの図案の切り出しを実演披露していた。
 一般の来場者も興味津々で、人垣が二重にも三重にもできていたのを思い出す。「あのぼかしの部分が、機械では、うまく再現できない。あの繊細な色合いは、手作りだからこそ」と囁き合っていた長老たちの声が蘇る。

 名人の名を欲しいままにした萬正さんだが意外な事実も耳にした。「切り出しができるのは、萬正の親父だけとちゃうねん。大阪には、けっこういまっせ」と、当時、ある業界関係者から聞いて、驚いたが、当時は、まだ切り出しを受け継ぐ職人がけっこういたようだ。しかし、その後、年々、切り出し技術を目にする機会は、減ってしまった。

 まだ元気だった頃、小田原の田代勇輔さんが「鶴」をよく披露していたが、体調をくずしてからは目にすることもないのは寂しい。鈴廣の佐賀勝男さんが、その技を受け継ぎ、毎年、春に行われる小田原かまぼこ桜まつりで、その腕前を披露して、伝統技術を一般に紹介しているが、いつまで、その技が伝えられてゆくのか、はなはだ心もとない。

 板付けできる職人さえ、少なくなった今、細工かまぼこの技術を求めるのは、ナイモノねだりかとも思うが、それでも、あの仙台の品評会会場で目にした切り出しかまぼこの妙技は、いまも鮮やかに印象に残っている。品評会に伝統と彩を添えた切り出し技術が、消えてゆくのが残念で仕方がない。







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